多発性骨髄腫という病気⑤

親の病気
この記事は約3分で読めます。

母が多発性骨髄腫を発症してから約10年。その記録を息子が綴っております。記憶が曖昧なところもありますが、同じ病気になられた方やそのご家族、ご友人たちの参考になればと思っています。
内容的に重たくならないよう心がけております。また、私は医師や看護師などではないので専門的なことは書けませんが、間違った記載があればご指摘いただきますようお願いします。
今回で5回目になりますが1回目から読んでいただければ幸いです。(短いので、すぐ読めます)
多発性骨髄腫① 多発性骨髄腫② 多発性骨髄腫③ 
多発性骨髄腫④ ⇦ 前回はこちら

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IgAの数値がずっと高い

IgAの数値(ガンの進行具合の目安となる)が高いまま改善されず、母の体調もすぐれない日が続いていました。具体的には『しんどい、疲れる、腰が痛い』です。生活するうえで医師から警告されていることは『重い物を持たないこと、転倒には気を付けること』です。多発性骨髄腫は骨がもろくなっており、ちょっとしたことで骨折をしてしまうからです。しかし、それ以外は食事制限がある訳でもなく普通に生活をしているのですが、疲れやすいため、ぐったりして寝込んでいるような時が多くなっていました。このまま、緩和治療(自宅で痛み止めの薬の服用)と定期的な外来受診での血液検査だけでは、改善の余地はなさそうで日に日に衰弱していくだけに思えてしまうのが家族としても辛かったです。

私が医師と会って直接話をしてみよう

外来受診には、母と付き添いの父だけという日が続いていました。おそらく二人とも、医師の言われるがままに『はい、はい』と聞いていただけだと思います。多分、内容が理解できていなかっても『はい、はい』と言ってたのでしょうね。家で私が間接的に父に質問しても「そこまで聞いてない。それは分からん」っていうような返事が多かったですから。私は「そこを聞いとかんと。それが肝心なことやねんから」と父に文句を言ったことが度々ありました。
このような状況では『母の先は長くないかもしれない』という思いが強くなり、以前、医師から聞いていた「多発性骨髄腫に関しては今もこれからも良い薬がいろいろ出てきているので希望を捨てずに頑張りましょう」(多発性骨髄腫という病気④より)言葉を信じて、医師と直接会って日頃お世話になっている御礼と新しい薬を試してもらえないかの話をしてみようと思いました

やっぱり話をして良かった

そして迎えた月一回の外来受診日、私は医師に「いろいろ新しい良い薬が出てきているって言われていましたが、母には使えないのでしょうか」と聞いてみました。すると医師は「一度、新しい薬を試してみましょうか」と即答していただけました。私は思いもよらぬ即答に少し驚きました。それなら私がお願いするまでもなく、医師ほうから勧めていただけたら話は早かったのにと。(実は、このことには理由があったのです。その理由が分かるのは数年後ですが…)
そして、母も父も新薬に挑戦することに納得し、久しぶりに治療のために入院することになりました。

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