多発性骨髄腫という病気⑩

親の病気
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母が多発性骨髄腫という、なんとまあややこしい病気になりまして圧迫骨折を振り返しながらも生き延びている様子を息子である私(セイメイ)が同じ病気で不安に思っている方やご家族の参考になればと思い書き綴っております。興味のある方はぜひ最初の多発性骨髄腫という病気①からお読みいただけると嬉しいです。

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多発性骨髄腫の特徴は(母の場合)

多発性骨髄腫は血液のガンですが『この病気自体で亡くなるというよりか、この病気が原因で免疫力が落ちてしまい様々な病気に罹患して亡くなられることが多い』と主治医から聞いていました。しかし母に関しては、他の病気になるよりも『腰痛、しんどい、疲れる』が主な症状で時折、圧迫骨折(骨髄腫のため骨がもろい)を起こすのがパターンになっているようでした。
化学療法でIgA(免疫グロブリンA)の数値が改善されたときは、『しんどい、疲れる』の度合いがマシになるそうです。母は「しんどいのはしんどいで」と言っていますが、調子が悪かったときの『死んでしまったかのように寝ている』ような状態のときは、血液検査の結果でもIgAの数値が高くなっておりました。

これからどうするの?

圧迫骨折は自然治癒を待つしかなかったのですが、痛みが癒えるまでの間にケアマネージャーと今後のことについて話し合いを持つ時間がありました。ケアマネージャーは歩行器の使用を勧めてこられました。今までは要介護1ということで杖をレンタルしていますが、ほぼ使っていませんでした。しかし、この度の複数個所の圧迫骨折により、傷が癒えたとしても歩行困難が予想されるために歩行器を使用した方が良いだろうということです。
家族としても、歩行器が必要かなとは思いましたが、本人は「いらない。今の杖だけで大丈夫」と言って歩行器を拒否していました。母の性格上『そこまで大げさにしなくても歩ける。こんなことまでして外に出かけたくない』という気持ちが強かったのでしょう。親子ですから、母の気持ちや考えは大体分かります。確かに母が長年通っているカラオケ教室では母より年上の方が多く、みなさん元気に通われているそうです。その中で年下の母が、歩行器を使いながらカラオケ教室に通うなんて考えられない、いや、考えたくもなかったのだと思います。もし歩行器を使用するとなれば、おそらく事実上の引退となることは本人が一番理解していたことでしょう。

歩行器のイメージ

歩行器が届いた

数日後、母のもとに歩行器が届きました。上の写真とは少しタイプが違いますが、歩行器は歩行器です。私も現物を目にすると思ってた以上に大きく感じましたね。正直、これを使うとなれば『母を外食に連れて行ってあげることはちょっと厳しいな。これを押しながら店内に入って行けば、他のお客さんの邪魔になったり店員さんにお世話になったりと連れ添って一緒に行く自分も気を遣うなあ』という思いを強く感じたのと同時に『いよいよ母もここまで老いてしまったか』と悲しい気持ちになってしまいました。
母は一向に「こんなの要らんで。杖があったら大丈夫」と相変わらずでしたが…確かに、私が見ている前ではゆっくりながらも独りで自力歩行ができるくらいまで回復はしていました。しかし、傍で見ていると危なっかしく見え、安定して歩ける状態ではなかったので歩行器を使ったほうが安心ではあるなと思う次第でした。

思わぬ回復力

それからの母はというと、家の中では支えなしでも歩けるくらいまで回復していました。ビックリですよ、もうすでに75歳という年齢に加え多発性骨髄腫という骨がもろく骨折をしやすい病気で複数個所を圧迫骨折をしていたにも関わらず、もう「成年並みの回復力かい!」とツッコミを入れたくなるような状態でしたね(笑)
そして母は「この歩行器、もういらんで。全然使ってないし置いてても邪魔になるだけや。ケアマネージャーに言うて持って帰ってもらってと。なんとまあ、強気なことか。
でも、母がそこまで言うのであれば家族としても嬉しいことではあるし、以前のように歩けるようにと強い気持ちをもって頑張っている母の姿を見ると応援したくなるのは家族として当然のことであり、ケアマネージャーに連絡をして歩行器を回収していただくことになりました。結局、一度も使用しませんでした。

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