多発性骨髄腫という病気③

親の病気
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多発性骨髄腫という病気になってしまった母についてお話しします(第3回)
実際に多発性骨髄腫になった人の話が知りたいと思われている方の参考になれば幸いです。
第1回からお読みいただければ話が分かりやすいと思います。
多発性骨髄腫という病気① 多発性骨髄腫という病気②

セイメイ
セイメイ

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ぜひ①も②も読んでくださいね

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病気を告知されてからの生活について

母の場合は、腰痛が酷かったです。背骨が曲がって体重も減り、表現は悪いですが『やせ細って腰の曲がったおばあさん』状態になって一気に老けて見えるようになってしまいました。
医学の専門的なことは詳しく分かりませんが、この病気は骨が溶かされてしまうみたいなので痛みはずっと継続するみたいです。そして、一番特徴的なのが『しんどくて疲れやすい』ことです。私は同居しておりませんが、近くに住んでいるため頻繁に母の様子を見に行ったりしていましたが、仕事終わりの夜8時~9時頃に行くと決まってソファーに座ったまま『死んだかのようにぐったりと寝てしまっている』のです。元気者の母だっただけにそのギャップに驚き、最初の頃は、本当に死んでしまっているのかと思うくらいでした。父に聞くと、夜だけでなく昼間も同じように寝ていることが多いということで、あまり症状はよくないのかなと思う日々が続いていました。

母

死んでないで~でも、ちょっとしんどいなぁ

腰も痛いし…

治療について

当初は、抗がん剤を使用した治療で髪の毛が抜けたりもしていました。そして、母の場合は心臓や肝臓などの内臓系に大きな問題がなかったので『造血幹細胞移植』も行いました。しかし、思うような効果が表れず、この治療は断念せざるを得なくなってしまいました。
それ以降は、抗がん剤も使わず緩和治療ということになりました。つまり、ガンの治療ではなく現在の痛みを薬で和らげるという治療です。つまり、ガン(多発性骨髄腫)を治す治療ではありません。
そのため、月一回の外来受診で経過観察という日々が続きました。母の症状が良くなることはなく一定状態で継続しているような状態でした
外来受診には、ずっと父が付き添いで受診のたびに長時間待たされることもあり、父も疲れ果てしまっていました。仕事がある息子夫婦(兄・私・妻)は父に申し訳なく思いながらも、仕事を理由に任せっきりにしている私たちは親不孝なのかと感じることもありました。

セイメイ
セイメイ

正直なところ『やっぱり余命3~5年なんだろうか』

と思っていました。この時は…

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