多発性骨髄腫という病気 まとめ(母の場合)

親の病気
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母がなった多発性骨髄腫という病気について①~⑭まで書いてきましたが、今回で一旦、まとめとさせていただきます。
あくまでも私の母の場合のことですので、同じ多発性骨髄腫という病名であっても人により症状はいろいろあると思います。まさに十人十色だと思いますので、参考として『あ~、こんな人もいるんだ』くらいで読んでいただければ幸いです。

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症状について

①腰痛
腰痛から始まりました。腰痛の原因は脊椎の圧迫骨折でした。が、その圧迫骨折は多発性骨髄腫により骨がもろくなることによるものでした。それまで目立った病歴なし。健康な67歳の女性でした。
圧迫骨折については、自然治癒(日にち薬)するのを待つしかありません。77歳のときに階段を踏み外して左大腿骨の骨折。たった一段でも骨折してしまい手術と約3ヶ月のリハビリを経て自宅での生活に復帰していますが車椅子生活になることも十分に考えられました。

②疲れる(疲労感)、しんどい(倦怠感)、貧血
この病気になるまで母の口から「しんどい」って言葉はほとんど聞いたことがありませんでした。しかし、発症後は昼間でも本当に疲れ切った表情でぐったりして寝込んでしまうくらいです。血液検査をするとIgAの数値の上昇が顕著です。医師から教わったことは『IgAの数値はガンの進行の目安』だそうです。母の場合は化学療法(抗がん剤)で数値を下げることに成功(2回)しましたが、完治したわけではありません。ガンの進行が小康状態になったということでしょうか。また、初めにした造血幹細胞移植では思ったような効果が得られず途中で断念しております。

③感染症にかかりやすい
新型コロナウィルスに感染しました。体温は37度台前半で推移し、無症状でした。父と私に発熱と咳の症状があったので検査すると陽性。濃厚接触者ということで母も検査すると陽性でした。父と私はダウンしましたが、母は微熱だけで普段どおりの生活でした。多発性骨髄腫になると免疫力が低下し感染症にもかかりやすくなるそうです。あと、初めの頃はヘルペス(帯状疱疹)が発症したこともありました。

以上が主な症状です。
闘病生活中の食事制限はありません。行動については骨折防止のため重い物を極力持たない、転倒に気を付けることくらいです。発症後から要介護1で約10年継続しておりますが、家族としては介護というより補助に近い感覚です。

自宅での生活について

さすがに、圧迫骨折をしている時や『疲れる・しんどい』といった状況の時は自力で行動することが困難です。圧迫骨折については絶対安静ですが、そもそも動き回ることが困難です。が、母の場合は入浴もなんとか自分一人で行っていました。それで良いのかどうか分かりませんが、これは人によって違うと思います。
『疲れる・しんどい』症状の時も、ぐったり寝込んでしまいますが、しんどいなりに身の回りのことは全て自分ですることができました。料理も作っていましたが、さすがにこれには驚きました。この『しんどい』症状が続くとガンが進行し始めたと理解しても間違いないと思います。

ここまで生きれたのは…

一番は本人の生命力であると思っています。
多発性骨髄腫は血液のガンでありますが、その病気自体で亡くなるというより免疫力の低下による感染症や骨がもろくなることによる骨折などで衰弱していくケースが多いと医師から聞かされていました。そのような病気であるにもかかわらず、複数回の圧迫骨折(頸椎・腰椎)や左大腿骨転子部骨折をしながらも自力歩行できるまでの回復は『運が良かった』だけでは済まされないと思います。健康体の人が骨折をして復活するのとは状況が全然違います。骨がもろくなる病気のガンと闘いながら平均余命以上生きた人が、3ヶ月近くのリハビリ入院生活を耐えてこれたのは本人の頑張りと気持ちの強さでしかないと思います。入院期間中は一度も弱音を吐かず、退院後には「楽しい入院生活でした」と私たち家族に話してくれたくらいですから。
そしてもう一つは、新薬が次々と出ているという化学療法で一度目、二度目も効果テキメンだったことです。薬との相性もあると思うので詳しくは分かりませんが、一度目も再発後の二度目も明らかに症状が改善されました。化学療法をするためには事前の検査で異常がないことが条件となりますが、母には内臓系の疾患がなかったことで化学療法をすることができました。

最後に

多発性骨髄腫は完治が難しく、なってしまうと一生付き合っていかなければならない病気だそうです。ただ、そこで気持ちが滅入ってしまう人とそうでない人では、それからの病状に少なからず変化が出るのではないのでしょうか。平均余命3~5年と言われていたこの病気も、近年は幹細胞移植や新薬の効果もあって20年以上生きている方もいらっしゃるそうです。
母は化学療法で一旦治まった症状が数年後に再発、それでもまた化学療法で回復して約10年生存し続けているという一例にすぎませんが、多発性骨髄腫と聞いただけで落ち込むのではなく、私の母みたいに生き続けている人もいるんだという希望を持っていただけたらと思います。

セイメイ
セイメイ

芸能人の佐野史郎さん、宮川花子さんが同じ病気にかかられています。

参考にされてはいかがでしょうか?

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