多発性骨髄腫という病気⑭

親の病気
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母の多発性骨髄腫という病気について書き始めて今回でようやく現在に追いつくことになりました。発症は約10年前のこと。当初は一般的に平均余命3~5年といわれていたところ、あれよあれよという間に倍の10年生存し続けるまでになりました。母は多発性骨髄腫の平均余命の数値に影響を及ぼしてしまっているのではないでしょうか(笑)
とにもかくにも、多発性骨髄腫を発症された方へ少しでも勇気を希望を与えられたらと思い書き残しています。

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退院から4ヶ月経過

多発性骨髄腫は骨がもろくなる病気です。もちろん他にも症状がいろいろありますが、転倒するだけで骨折する可能性が非常に高くなるので転倒や重い荷物を持ったりすることには要注意です。なのに、母は階段の最後の一段を踏み外し、左大腿骨の骨折をしてしまいました。そもそも、自宅の二階へ上がることは止めるようにとは言っていたのですが…(この日、二階へは探し物で上がっていました。)
大腿骨の骨折は高齢者(特に女性)に多いそうで、話を聞いたことのある方もいらっしゃると思います。母の場合は、骨がもろくなっている病気なので手術するのにもハードルがありましたが無事に成功しリハビリも順調に進んで予定より少し早まった退院は誰もが驚かされました。
現在、退院から4ヶ月が経過しましたが、自力で歩行できております。何も支えなしでも歩行することは可能ですが、超スローです(笑)おそらく、外部から不可抗力があると転倒してしまうでしょう。なので、歩くときは必ず四点杖を携行して念には念をということで生活しております。スーパーへの食料品の買い出しも父が付き添って行ってくれています。だけど、またひとつ注意点が増えました。スーパーでは買い物カゴ用のカートを使用するのですが、これが歩行器(手押し車)代わりになるので安定していて便利なので家族としても安心なのです。しか~し!その時に持参した四点杖をカートに引っ掛けて買い物をしているので、そのままカートと一緒に四点杖を置き忘れて帰ってしまうということが度々発生したのです。スーパーのカート置き場でカートを手放し、買い物袋(マイバッグ)は父が車まで運んでいますが、母は本来ならカートから四点杖に持ちかえて車に戻らなければならないところを手ぶらで車に戻ってくるのです。そう、なんとか自力で歩行ができてしまう、杖はあくまでも保険的な存在なのでどうしても忘れてしまうそうです。そして、家に帰ってきてから忘れてきたことに気付く。まあ、気付いてくれるだけでも良しとしましょうか(笑)

血液検査の結果、IgAの数値は…

リハビリのために入院していた病院は多発性骨髄腫でかかっている病院とは違うため、入院期間中にはIgAの数値を検査してもらうことはなかったそうです。3ヶ月弱の入院期間でしたが、本人曰く「リハビリも入院生活も良い人たちに恵まれて楽しかった。疲れて昼間からぐったり寝てしまうこともなかった」とのことでしたので、おそらくIgAの数値も安定しているのだろうなと思いながら約3か月ぶりにかかりつけの主治医の外来を受診しました。この日は私も医師に退院報告と大腿骨骨折時にいろいろとお世話になったことの御礼を伝えたかったので。
血液検査の結果は…やはり、数値が下限値ギリギリのところでした。『しんどい、疲れる』状態の時には上限を振り切っていましたので、それから考えるとかなり調子が良い?といったら語弊があるかもしれませんが、ガンの進行は抑えることができているみたいです。しかし、医師・看護師からは『次、骨折したらもう手術は難しい』的なことも伝えられ『今後、また調子が悪くなったときにはどうするのか』など、かなり曲論的な話までされました。そうですよね、もう平均余命の倍は生きているのですからね。これまで窮地に追い込まれながらも、不死鳥の如く生き続けてはいますが、確実に体は弱ってきています。

これからのことについて

私は母がこの病気になってから『親の終活』というものを意識し始め、一般社団法人終活協議会の終活セミナー認定講師、エンディングノート認定講師の資格を取得しております。当然、両親に対しても終活の話は幾度となくする機会がありました。
親は子どもからいろいろ言われてもあまり聞こうとしません。特に話題が『終活』となれば、話をそらしてしまいます。おそらく、このような親子は多いかとは思いますが。
とりあえず母については、医師・看護師からも今後のことについて話をしておくように言われておりますので急がなければなりません。今は要介護1の状態ではあるものの、ほぼ全部自分で身の回りのことをすることができていますが、再び骨折したり、IgAの数値が上昇(再発)して、いつ寝たきりになってもおかしくありません。寝たきりになれば、介護をどうしてほしいのか明確な意思表示を今のうちにしてもらっておかないと。もし意識がなくなってしまった場合、延命治療の希望も今のうちに聞いておかなければなりません。いや、聞くのではなく文字に残しておいてほしい。これが、子どもからの願いです。そうなると、エンディングノートを書いてもらうしかありません。
人間、いつまでも生きれません。必ず、人生最期のときがやって来るのです。  つづく

セイメイ
セイメイ

次回は多発性骨髄腫についての『まとめ』を書きたいと思います。

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