親の病気

人生

元気な親が突然、介護が必要な状態になったら…

人生には必ず『最期のとき』がやって来ます。それは誰もが知っていることではあるが、そのときが『いつなのか』は誰も知らない。ただ、そのときに備えて家族で話し合ったり自分の気持ちを整理しておくこと、前もって心の準備をしておくことは可能である。 でも、なかなかできない。それは今、健康だから。考えたくないことや都合の悪いこと、面倒くさいことは先延ばししてしまう。これは人の性さがなのだろうか。
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多発性骨髄腫という病気 まとめ(母の場合)

母がなった多発性骨髄腫という病気について①~⑭まで書いてきましたが、今回で一旦、まとめとさせていただきます。 あくまでも私の母の場合のことですので、同じ多発性骨髄腫という病名であっても人により症状はいろいろあると思います。まさに十人十色だと思いますので、参考として『あ~、こんな人もいるんだ』くらいで読んでいただければ幸いです。
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多発性骨髄腫という病気⑭

母の多発性骨髄腫という病気について書き始めて今回でようやく現在に追いつくことになりました。発症は約10年前のこと。当初は一般的に平均余命3~5年といわれていたところ、あれよあれよという間に倍の10年生存し続けるまでになりました。母は多発性骨髄腫の平均余命の数値に影響を及ぼしてしまっているのではないでしょうか(笑) とにもかくにも、多発性骨髄腫を発症された方へ少しでも勇気を希望を与えられたらと思い書き残しています。
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多発性骨髄腫という病気⑬

母は多発性骨髄腫という血液のガンになりましたが、複数個所の圧迫骨折と二度の化学療法を乗り越え不死鳥の如く生き続けております。今まで病気や怪我なのほとんどしたことがなかった母の闘病記を多発性骨髄腫という病気①から書き綴っています。聞きなれない病名なので、ブログ上に残しておくことで同じ病気になられた方の参考や希望につながればいいなと思います。
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多発性骨髄腫という病気⑫

多発性骨髄腫とは簡単にいいますと、血液のガンです。白血病と似たような病気です。でも世間一般的には白血病のほうが知れ渡っているのではないでしょうか。しかし、その白血病も病名ばかりが有名になってどのような病気なのかよく知られていないと思います。 私の母は多発性骨髄腫になって現在で約10年生存し続けております。ガンと聞いたら余命○年とか余命○ヶ月というイメージを持たれる方も多いと思いますので、同じ病気になられた方やご家族の勇気や希望を与えられるといいなと思い書いています。興味を持たれた方は、ぜひ多発性骨髄腫という病気①からお読みいただけると幸いです。
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多発性骨髄腫という病気⑪

母が多発性骨髄腫(血液のガン)という、非常に完治しにくい病気になってから体調不良と圧迫骨折を繰り返しながらも約10年生き続けている闘病記録を息子が思い出しながら書き綴っています。同じ病気になられた方やご家族などの参考としていただければ幸いです。
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多発性骨髄腫という病気⑩

母が多発性骨髄腫という、なんとまあややこしい病気になりまして圧迫骨折を振り返しながらも生き延びている様子を息子である私(セイメイ)が同じ病気で不安に思っている方やご家族の参考になればと思い書き綴っております。興味のある方はぜひ最初の多発性骨髄腫という病気①からお読みいただけると嬉しいです。
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多発性骨髄腫という病気⑨

医師の「この病気は必ず再発しますから」との言葉どおり、母の病状は悪化していきました。 多発性骨髄腫は血液のガンで骨がもろく骨折をしやすくなる病気です。また、非常に疲れやすい病気でもあります。免疫力も低下し、いろいろな病気にかかりやすくもなってしまいます。
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多発性骨髄腫という病気⑧

母が多発性骨髄腫という平均余命3~5年の血液のガンを発症しました。『造血幹細胞移植』は成功しませんでしたが、化学療法が上手くいったおかげで発症から5年をなんとか生きることができました。今回以降は、5年後から現在までの様子について曖昧な記憶をたどりながら書いていきたいと思います。
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多発性骨髄腫という病気⑦

母が多発性骨髄腫という『血液のガン』になってしまいました。当時はこの病気の余命は平均3~5年と言われていましたが、母は現在10年目を迎えることに。それまでの間、度重なる骨折を繰り返しながらも、化学療法によりガンの進行を抑えることに成功し平均余命をはるかに上回る闘病生活を送っています。あまり聞きなれない病気ですが、多発性骨髄腫になられた方やご家族、ご友人たちの参考になればと思い書き綴っています。