多発性骨髄腫という病気⑦

親の病気
この記事は約3分で読めます。

母が多発性骨髄腫という『血液のガン』になってしまいました。当時はこの病気の余命は平均3~5年と言われていましたが、母は現在10年目を迎えることに。それまでの間、度重なる骨折を繰り返しながらも、化学療法によりガンの進行を抑えることに成功し平均余命をはるかに上回る闘病生活を送っています。あまり聞きなれない病気ですが、多発性骨髄腫になられた方やご家族、ご友人たちの参考になればと思い書き綴っています。
できれば多発性骨髄腫という病気①から読んでいただくと、経過が分かりやすいと思います。

セイメイ
セイメイ

前回、LINEで母から驚きの内容の報告があったことを

お伝えしました。今回はその続きです。

にほんブログ村

ガンはどこかに行ってしまいました

母から『ガン(多発性骨髄腫)はどこかに行ってしまいました』と書かれたLINEは冗談ではありませんでした。厳密に言えば完治したとは言えないのでしょうが化学療法後の経過が良く、医師も驚くほど血液検査の結果も安定しているとのことでした。化学療法をしたからといって必ず良い結果になる訳ではないですが、母の場合は新薬が合ったのか上手く効いてIgA(免疫グロブリンA)の数値が基準値内に収まるようになり、以前のように『しんどい、疲れる』といった症状がかなり軽減されたようです。それにともない腰の痛みも以前ほどでもなく、家族から見ても息を吹き返したかのように元気になったのが感じ取れました。

再発の恐れはないのか?

それからは母は比較的安定した生活を送れるようになりました。
ただ、腰痛がなくなった訳ではなく、疲れやすいといった症状はあるものの、週一回の大好きなカラオケ教室にも復帰することができ大変喜んでおりました。このとき、発症からすでに3年目を迎えていました。発症当時、多発性骨髄腫の平均余命は3~5年と聞かされていましたが、3年経過した時点で症状が安定したことで家族ともども母の生命力に驚かされるばかりでした。正直、『これはまだまだ生きれるな』というのが私の本音でした。
しかし月一回の外来受診で医師から決まって言われることは「今は落ち着いていますけど、この病気は、必ず再発しますから」ということでした。『再発する可能性がある』ではなくて『必ず再発します』か…。

『要介護1』の認定を受けていた

話は前後しますが、母はこの時点で『要介護1』の認定を受けておりました。
この件に関しては、恥ずかしながら兄と私たち夫婦は全く関与しておりませんでした。ケアマネージャーの存在も聞いてはおりましたが、どのような手続きを踏んでどのような仕組みになっていてどのようにお世話になっているのかさえも知らないままでした。ただ、母の病状が良くなっていることだけで安心してしまい、それ以外のことは『ほったらかし』に近いような状態でした。
病状が良くない時は『要介護1』状態だったとは思いますが、化学療法で病状が良くなってからは介護の必要は皆無といってもいいような状態であったのでケアマネージャーにお会いすることもなく日々が過ぎていきました。

セイメイ
セイメイ

現在はケアマネージャーを交代してもらい2人目の

ケアマネージャーにお世話になっています。

いろいろありましたので…

コメント

タイトルとURLをコピーしました