多発性骨髄腫という病気⑧

親の病気
この記事は約3分で読めます。

母が多発性骨髄腫という平均余命3~5年の血液のガンを発症しました。『造血幹細胞移植』は成功しませんでしたが、化学療法が上手くいったおかげで発症から5年をなんとか生きることができました。今回以降は、5年後から現在までの様子について曖昧な記憶をたどりながら書いていきたいと思います。
過去の分につきましては、多発性骨髄腫という病気①から順に読んでいただければ分かるようにしています。短いのでぜひ最初から読んでいただければ幸いです。

にほんブログ村

すっかり症状が安定してしまった

母には、化学療法での治療がピッタリだったのかは分かりませんが、以前のように疲れてぐったりと寝込んでしまうような姿はあまり見られなくなりました。それでも、ガンが完治したわけではないので月一回の外来受診と自宅で痛み止めの薬の服用は継続していました。
本人も元気を少しずつ取り戻し「もうちょっと頑張って生きるわ」と笑顔を見せることが多くなり家族も安心して過ごせる日を取り戻せたような感覚になりました。しかし、元気を取り戻せば取り戻したで、医師から骨折しやすいので控えるように言われていた『重たいものを持つこと』や『庭いじり』をする姿が目立つようになり、私たち家族も注意はしていたのですが…
これはもう、本人の性格上の問題でしょうが「じっとしていたら病気になってしまう」と言い張り、家族がナンボ注意してもいうことを聞いてくれません。まぁ、家族としては好きなことを制限してまで長生きをするよりか、『やりたいことをやれるうちに』と思って見守るようにはしていました。

セイメイ
セイメイ

『やりたいこと』は『やれるうちに』これ大事ですね。

安定した日々が続く

それからは、安定した生活を送っておりました。週一回のカラオケ教室でストレス発散をしたり、仲の良いお友達にランチに誘ってもらったりと有意義に楽しんでいたのではないかと思います。日が経つと怖いもので、医師から「この病気は必ず再発します」と言われていたことをみんなが忘れてしまうかのような安定ぶりだったのではないでしょうか。
私も『医師は「必ず再発」って言ってたけど、母は異例というか特異なパターンで治ってしまったのかもよ』と思ってしまうくらいでした。

IgA(免疫グロブリンA)が増加

3年くらい安定した状態が続いていたでしょうか。
しかし、徐々に母が以前のように疲れやすくなってきていました。月一回の血液検査でのIgA(免疫グロブリンA)の数値も毎回増加しており、そして、ついに基準値を超えてしまっていたのです。そうです、ついに再発してしまったのです。しかし、基準値は超えているものの微増状態で推移しているので経過観察ということになりました。
医師の「必ず再発します」どおりになってしまいました。でも、まだまだ『多発性骨髄腫には新しい薬がある』この情報を信じて母も家族も希望を捨てることなく頑張るつもりでいました。このとき母は76歳。女性の平均寿命は87歳。まだ平均まで10年以上あります。たとえ多発性骨髄腫が完治しない病気であったとしても、母本人が生きることへの希望を失っていない。『まだまだ生きたい』この気持ちがある限り家族としても精一杯、協力していきたいと思うのでした。

コメント

タイトルとURLをコピーしました